hujiru12’s blog

観劇感想ブログです。

ヒモのはなし名古屋組感想(マリ・学生編)

東京公演を観てからの名古屋組観劇だったので、「台本も少し違うって言ってたけど、どれぐらい違うのかな?」とワクワクしながら観に来ました。

そして、幕が開いた瞬間、オープニングから全く違って、え? 別の舞台を観に来た!? という衝撃が走りました。

正直な気持ちを言うと、下北沢の小劇場で味わったあのつかこうへい作品の空気が、名古屋の方の好みに合うだろうか? という不安を少しばかり感じていました。

私自身がエンタメ要素強めの、ワクワクするお芝居の方が好きだからかもしれません(でも、今回のヒモのはなし観劇で、その固定観念はすっかり無くなりました!)が、初見では意味が掴むのが難しいThe 演劇! という舞台が受け入れられるのかな? と、ちょっぴり思いました。

だけど、実際に名古屋組のヒモはなを観てみたら、装飾を少し外してシンプルになった台詞や、「ヒモのはなし」の元になった「ストリッパー物語」から取り入れられた台詞で、ストーリーが格段に解りやすくなっていました。

オープニングのショー形式の登場人物紹介や、エンディングのダンスなどエンタメ要素も付け加えられた演出も相まって、「めちゃくちゃ取っ付きやすくなってる!」とビックリしました。

演出家さんが変わるとこんなにも作品が変わるのか! という衝撃と共に、久保田創さんは、東京で活動されている方のはずなのに、なんでこんなに名古屋の演劇界の事情に精通なさってるんだ!? という疑問が頭の中をぐるぐるしました。

あまりにも不思議だったので、直接創さんにお話を聞いてしまいました。すると、「名古屋の役者さんたちを見ていたら、(東京公演のままの演出は)何か違うなってなった」という答えが返って来て、役者さん一人一人の持っているものに向き合って演出を付けられると、こんなにもしっくりと名古屋の空気感に馴染む作品になるのか…と、演出家さんの凄さにますます感動してしまいました。

最初に観た時は、同じ卵とご飯を使っているはずなのに、東京組・東名組と、名古屋組では、天津飯とオムライスぐらい違うものが出て来た! 食べ口の優しさを例えるなら、東京で観たヒモはながスパイスの効いた本格カレーで、名古屋組のヒモはなはカレーの王子さまだ! という感想を呟きましたが、千秋楽まで観て抱いた印象は、「名古屋組のヒモはなは、じっくり煮込まれたおでんみたい」です。

それぞれの具材の美味しさを最大限に引き出して、日を重ねるごとに味わいが増す、そんな優しさを感じる皆大好きな料理だなぁ…と。

後半戦に入ってからは、更に人情味が増して、味噌おでんになった気がします。名古屋の魂が染みた大好きな味です!

 


名古屋組の皆様についても、一人ずつ語らせていただこうと思います。

(めちゃくちゃ長くなりそうだったので、三回に分けようと思います)

 


マリ役、フランさん

シゲの娘(東京公演では美智子でした)が、おばあちゃんに父親にも似て来たと言われるのを「でも、嬉しいんです」というのが、最初に観た時に不思議だと感じました。シゲが家を出た経緯からして、祖母はきっと良い意味では言っていないはずの言葉で、美智子の立場からしても、家庭を捨ててストリッパーのヒモをしているような父親に似ていると言われるのは普通嫌なのではないだろうか? と思いました。

なのに、それを嬉しいという美智子は、どこか浮世離れした、何かを達観したような少女だという印象を持っていました。

でも、フランさんのマリの、「悔しいけど、親子の繋がりを嬉しく感じてしまう」というのが伝わって来る言い方に、シゲの娘という登場人物を身近に感じるようになりました。

明美から差し出されたお金を受け取ることを拒んだ後の唐突な「父はいつもあんなふかふかの羽布団で寝ているんでしょうか? こんなことで父は立派なヒモになれるんでしょうか?」という言葉も、涙をいっぱいに溜めて口にするフランさんのマリを観て、あぁ、これが、この娘の精一杯の意趣返しだったんだな…と、すとんと腑に落ちました。

シゲの一人語りの最後の言葉が、「こんなことで父は立派なヒモになれるのかって言われりゃあ…」なのは、パチンコに行ったふりして、この二人の会話をどこかで聞いていたからなのかなぁ。

初観劇の時、明美とのレディ・サンフランシスコのダンスシーンの後、マリが読み上げる明美へのエアメールの内容で、大学はすぐに辞めてダンサーを目指そうとしていることが語られる演出に驚きました。かつての明美と同じ夢を見て、実際に異国へと旅立つ少女、というマリの立ち位置がここで解ることで、その後のストーリーがめちゃくちゃ分かりやすくなります。創さんの名古屋組の演出の、整理のされ方が見事だなって思うところの一つです。

何度か観ているうちに、もしかして、マリが、父親に似ていて嬉しいというのは、それが、自分のやりたいことのために病気の母親を裏切って外の世界へ出て行く己自身の言い訳としてなんだろうか? とふと考えてしまいましたが、さすがに穿った見方過ぎるかもしれません…

名古屋組は、後半に入って、登場人物達皆の感情が、より分かりやすくなった! と感じたのですが、最初に出て来るマリが、より等身大の少女になっていたことが、そう感じた一番の理由だった気がします。

公演期間中にぐん! と進化したフランさんのお芝居の伸び代に、感動しちゃいました。

物語終盤の明美の一人語りの後に出て来るマリは、ニューヨークでの現実の姿でもあり、明美が見る「もし娘が生まれていたら」の夢でもあると思うのですが、フランさんのマリは、一緒に踊った日から、明美を姉のように慕っているのが全身から伝わって来るので、二人の世界が距離を越えて繋がったように感じました。

千秋楽のカテコの後、会場全体を震わせる拍手の中、再び登場したマリが、明美が掴めなかった夢を見事に叶えた宣言をした満面の笑顔、めちゃくちゃ泣けました!

 


学生役、織田佳祐さん

東京組、東名組、名古屋組の学生の中で、一番等身大の恋する青年だったなぁと思います。

それは、もしかしたら、名古屋組の学生だけが、「織田ちゃん」という名前を与えられていたのも関係しているのかもしれません。

几帳面な母親に育てられて、その価値観に縛られてはいるものの、背筋がひやっとするような歪みは感じませんでした。

年上の美しい女性に憧れて恋をして、だけど、実際に手を伸ばす勇気はない。

それが、己自身への自信の無さから来る臆病心であれば、ありふれたラブストーリーの構造ですが、ヒモはなの学生の場合は、ストリッパーという職業をしていた女性と結婚することは世間体が許さない、という意識の方が強いんだと思いました。

織田さんの演じる学生の細かな視線の動かし方で、そういう葛藤を感じ取れるようになりました。

だからなのか、「社会人ですから」という言葉で明美を拒絶する時以上に、靴紐を結ぶシーン(その行動自体が、明美をストリップ劇場に縛り付けることを暗喩しているようにも思えました)で、自ら口付けようとした明美を振り払う拒絶の仕方が、心臓にグサリと刺さりました。

シゲと声を揃えて、「そりゃないよ、学生さん!」と叫びたかったです…

でも、自分には受け止めきれない女である明美の手を取って連れて行かなかったのは、学生なりの誠意なんだろうなぁ。

そして、「踊り、頑張ってくださいね!」も、本心からの言葉なんですよね。

彼も明美の踊る姿に恋をした人間の一人で、だから、「女の人が裸になるの苦手」なのに、長期休みの度にストリップ小屋にバイトしに通っていたんですね…

学生の明美への感情は、恋愛というより推しへの愛に近いのかもしれません。

名古屋組の酔っ払い客が明美に飛ばす野次は、お腹の傷痕を気持ち悪い!と詰るものだったのですが、その声の主が検事になった学生だとして、それは、盲腸手術の傷が酷くなってしまったのは妊娠中だったからで、お腹の子の父親であるシゲが責任を感じていることを知っての言葉だったのかなぁと思いました。

推しへの感情を拗らせた(元)学生が、推しにくっ付いている不純物であるヒモへの恨みを募らせていき、次第に、そのヒモを大事にしている明美へも怒りの矛先が向くようになってしまったのかな…と。

織田ちゃんにも、幸せになって欲しいなー。明美の踊りさえ見なければ、レールから外れない人生が送れたのかなぁ。でも、それって、楽しさを味わえない人生だったんじゃないのかなぁ…とかぐるぐる考えちゃいます。

ところで、完全な蛇足ですが、名古屋組の学生の服装、少しグレー掛かったTシャツにブラックデニムが、オシャレだなって思っていました!